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Branding

ロゴが語り、言葉が背中を押す。Nikeが“心を動かすブランド”であり続ける理由

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ブランディングを専門とするHighliteでは、世界中のブランドがどうやって人の心を動かしているのかを、日々観察し、言語化しています。ロゴや広告、体験の裏側には、いつも「ブランドが生きる理由」があり、それを日本企業でも再現できるように整理していくことが、私たちの役割だと思っています。

最近、Nikeに関する記事をいくつか目にしました。業績の波や市場の変化が取り上げられる中でも、どこか信頼のようなものに関しては揺らいでいないのを感じたんです。

そこには、「スポーツを通じて挑戦を生み出す」という一貫した姿勢があり、それがブランディングの軸として機能しているように思います。

今回の記事では、そんなNikeのブランディングを通して、「人の心を動かし続けるブランド」の本質を探っていきます。

なぜ世界で愛されてる?Nikeブランドの秘密を明かしてみた!

画像引用元:Nike 公式サイト( https://www.nike.com/jp/a/never-done-leaving-a-mark-swoosh

Nikeは、世界中で愛されるブランドの代表格です。

でもそれは、単に良いシューズを作っているからではありません。

人の心を動かし、行動までも変えてしまう「ブランドの力」があるからなんです。

ロゴやメッセージ、そして各国のカルチャーへの影響まで。Nikeがどうやって世界中の人々の心に刺さるブランドになったのかを見ていきましょう。

ロゴと一言が人生を変える──「スウッシュ」と「Just Do It」が持つ圧倒的な力

「スウッシュ」は、たった35ドルで学生デザイナーが描いたロゴです。勝利の女神・ニケの翼をモチーフにしたこの形には、「動き出す力」が込められています。 シンプルなのに、見る人の中で何かが動き出す、そんな不思議な力を持っているんですよね。そして、Nikeの代表的なメッセージである「Just Do It」。1988年に誕生したこの言葉は、挑戦や自己実現を後押ししてくれる魔法のフレーズです。迷ったとき、立ち止まりそうなときに「やってみよう」と背中を押してくれる。その普遍的なメッセージは、40年以上経った今も変わらず多くの人の心を動かし続けています。

世界中を熱狂させるブランド力の本質とは?

Nikeは、世界のスポーツブランド市場で常にトップを走り続けています。2024年時点で、グローバル市場規模は約2,569億ドル。

そのうちNikeは11.8%のシェアを誇ると言われています。でも、Nikeの強さは数字の上だけでは語れません。

Nikeが売っているのは、靴やウェアだけじゃなく「生き方」そのもので、人はNikeを履くことで、自分の挑戦や信念を重ね合わせているのです。

つまりNikeは、製品を通して「あなたも走り出せる」というメッセージを届けているブランドであり、それが世界中の人を熱狂させる、本当の理由となります。

市場規模・シェア率に関するデータの引用元
https://deallab.info/sports-equipment/

Nikeの何が心を動かすのか?

画像引用元:Nike 公式サイト(https://www.nike.com/jp/a/never-done-leaving-a-mark-swoosh

Nikeが多くの人の心を動かす理由は、ブランド誕生のときから変わらず受け継がれてきた「物語」にあります。

ロゴに込められた理念、言葉がもつ力、そしてアスリートたちとの信頼関係。Nikeというブランドを形づくるそのすべてに、「人」を中心にしたストーリーが流れています。

たった35ドルから始まった“象徴”スウッシュが生んだブランド神話

「スウッシュ」は、1971年に学生デザイナーのキャロライン・デビッドソンがわずか35ドルで描き上げたロゴです。勝利の女神ニケの翼をモチーフにしたそのカーブには、「スピード」や「情熱」、そして「前へ進む力」が込められていました。

派手な装飾も、複雑な意味もない。ただ見るだけで、「挑戦」という言葉を思い出させる。そのシンプルさが、Nikeの強さそのものです。

時が経っても、「スウッシュ」は見る人の感情を動かし続けています。言葉を使わずに理念を伝える、その力こそが、Nikeというブランドの根っこを支えているんです。

「Just Do It」が40年以上も語り継がれる理由

「Just Do It」。たった3つの言葉で、こんなにも多くの人の心を動かしてきたコピーはそう多くありません。

1988年、広告代理店ワイデン+ケネディによるキャンペーンの中で生まれたこの言葉は、「挑戦する勇気」をまっすぐに伝えるものでした。プロでもアマチュアでも、誰にでも迷いや不安はある。

けれどNikeは、その背中を「とにかくやってみよう」と押してくれます。40年以上たった今も、この言葉が消えないのは、Nikeが時代に合わせて挑戦の意味をアップデートし続けているからです。単なるスローガンではなく、人とブランドを結ぶ約束のような存在となっています。

トップアスリートと共に築いた“憧れの物語”ブランドの信頼を支える共創戦略

Nikeの成長を語る上で、アスリートたちの存在は欠かせません。

マイケル・ジョーダンやタイガー・ウッズなど、彼らはNikeにとって広告塔ではなく、物語を共に作る仲間でした。ジョーダンとの契約から誕生した「エア・ジョーダン」は、シューズを超えてアスリートの生き方そのものを象徴する存在になりました。

ファンが惹かれるのは、ただのデザインではなく、そこにあるストーリーなんです。誰かの挑戦や情熱に自分を重ねることで、ブランドは信頼を得ていく。

Nikeはそんな「共感の物語」をアスリートと共に築き上げ、世代を越えて受け継がれるブランドになりました。

Nikeが歩んだ挑戦の軌跡|創業から世界制覇まで

画像引用元:Nike 公式サイト(https://www.nike.com/jp/a/never-done-leaving-a-mark-swoosh

Nikeが世界的ブランドになるまでの道のりは、挑戦の連続でした。

小さな販売代理店としての一歩から始まり、失敗を恐れずに新しいことへ挑み続けた結果、Nikeは「スポーツブランド」という枠を軽々と超えていきます。

その過程には、常に「次の時代をつくる」という意志がありました。ここでは、創業から世界を代表するブランドになるまでの、Nikeの進化の物語をたどっていきます。

日本の一足から始まった“逆襲”ブルーリボンスポーツ誕生の瞬間

Nikeの原点は、日本との出会いから始まります。

1964年、フィル・ナイト氏とビル・バウワーマン氏が設立したブルーリボンスポーツ(BRS)は、日本のオニツカタイガーと出会い、その高品質なシューズに惚れ込みました。最初は、車のトランクに積んで販売するような小さな商売。

でも、そこには「もっと良いものを、もっと多くの人に届けたい」という純粋な想いがあったんです。やがて契約を終え、自分たちのブランドを作る決断をします。1971年に勝利の女神ニケの名を掲げて誕生したのが、Nikeです。小さな挑戦が、世界を動かす第一歩になりました。

革新がブランドを進化させたワッフルソールからエア・マックスまでの歴史

Nikeの歴史には、いつも「ひらめき」があります。

創業者のビル・バウワーマン氏が、朝食に使っていたワッフルメーカーから着想を得て作った「ワッフルソール」は、軽くてグリップが効く革新的なシューズソールでした。

この偶然のアイデアが、Nikeを技術でカルチャーを動かすブランドへと押し上げるきっかけになります。その後、ソールの中に空気を入れた「エア・マックス」へと進化し、見えるテクノロジーが機能だけじゃなくファッションの一部になりました。

Nikeの革新は、いつだって「遊び心」と「挑戦心」から生まれているんです。

スニーカーがカルチャーになるエア・ジョーダンがもたらした革命

1984年、マイケル・ジョーダンとの出会いがNikeを変えました。

誕生した「エア・ジョーダン」は、スポーツシューズを「文化」に変えた存在です。バスケットボールのコートからストリートへ、そして音楽やアートの世界へと広がっていったこのモデルは、ただの靴ではなく、自分らしさを表すアイコンとなりました。

履く人の価値観やスタイルまで映し出すような存在。スニーカーを通してカルチャーを作ってきたのが、Nikeというブランドです。

Nikeの本質は“物語”にある

画像引用元:Nike 公式サイト(https://www.nike.com/jp/justdoit

Nikeというブランドの中心にあるのは、いつの時代も「人の物語」です。創業者の挑戦から始まり、製品や広告のひとつひとつに、情熱や信念が息づいています。

無名の若者が夢を追いかけた原点が、いまもNikeの中で生きているんです。ここからは、Nikeがどのように物語を通して世界の共感をつかんできたのかを見ていきましょう。

無名の若者が世界を変えたフィル・ナイトの挑戦の原点

Nikeの創業者、フィル・ナイト氏は、もともと陸上選手でした。

学生時代に「日本製のシューズをアメリカで売れば、きっと勝てる」と考えた彼は、単身で日本に渡り、オニツカタイガーと契約を結びます。もちろん順風満帆ではありません。資金も足りず、靴を車に積んで売り歩く日々。でも、ナイト氏は決して止まりませんでした。「勝利の女神・ニケ」を信じ、自分の信念を貫いたその姿こそ、Nikeの挑戦するDNAの始まりなんです。

「製品=物語」という哲学に1足1足が語るブランドの使命

Nikeのシューズは、ただの製品ではありません。

そこには、作り手やアスリートの想い、挑戦のストーリーが宿っています。新しいモデルが生まれるたびに、「誰のどんな一歩を支えたいのか」という問いがあるんです。その一足一足が、Nikeというブランドの哲学を語っています。デザインも機能も、その背景にある「人の物語」があるからこそ、Nikeの製品はモノ以上の価値を持ち続けています。

人々の人生と重なるメッセージと共感を生むストーリーテリング

Nikeの広告やキャンペーンには、必ず「人」がいます。

世界的なアスリートだけじゃなく、日常の中で挑戦するすべての人たちです。「Just Do It」という言葉は、そんな人々の心に静かに火をつけるメッセージでした。「できるかどうかじゃなく、まずやってみよう」とNikeが伝えてきたのは、その一歩を踏み出す勇気です。だからこそ、人々はNikeをブランドとしてではなく、自分自身の物語の一部として感じているのかもしれません。

創業者たちが体現した“ブランドの魂”

画像引用元:オレゴンでのビル・バウワーマンとフィル・ナイト。(https://about.nike.com/ja/magazine/bill-bowerman-nike-s-original-innovator

Nikeの原点には、情熱と信念を持って走り続けた創業者たちの姿があります。

フィル・ナイト氏の決断と執念、そして師であるビル・バウワーマン氏との信頼関係。その二人が生み出した価値観こそ、今もNikeの魂として息づいています。彼らのストーリーから、Nikeというブランドが、なぜこれほどまでに人の心を動かすのかを見ていきましょう。

「陸上選手から起業家へ」フィル・ナイトの決断と執念

先ほども伝えたように、Nikeの創業者フィル・ナイト氏は陸上選手でした。

競技を通して学んだのは、「限界を超える力」と「続ける強さ」。

その経験が、のちのNikeブランドの哲学につながっていきます。日本との出会いをきっかけに起業の道を歩み、資金不足やトラブルに何度も直面しながらも、信念を貫き通しました。彼の原動力は、シンプルな「情熱」「継続」「信念」。

その3つが、Nikeというブランドの根っこを支えているんです。

師弟の信頼がブランドを動かした?バウワーマンとの運命的な出会い

Nikeの物語には、もうひとりの重要な人物がいます。

フィル・ナイト氏の師であり、陸上コーチでもあったビル・バウワーマン氏です。彼は、選手の走りをもっと良くしたいという一心で、自分の手でシューズを改良してしまうほど情熱的な人でした。

その探求心が、後に「ワッフルソール」を生み、Nikeの「革新の文化」を作っていきます。2人の関係は、単なる師弟ではなく、信頼で結ばれたパートナーシップ。チームでブランドを育てるというNikeの原点は、この絆から始まったのかもしれません。

日本との深い絆がブランドを強くする

画像引用元:Nike 公式サイト(https://www.nike.com/jp/launch/t/behind-design-air-max-95

Nikeと日本のつながりは、意外と深いつながりがありますです。

神戸での出会いをきっかけに、日本の技術やカルチャーがNikeの進化を支えてきました。

その関係性は単なる取引ではなく、ブランドを共に育ててきたパートナーシップでもあります。ここからは、日本がNikeに与えた影響と、その絆が生み出したブランドの強さを見ていきましょう。

日本から始まったNikeの物語は神戸から始まる

Nikeの物語は、実は神戸から始まります。

創業者フィル・ナイト氏は、日本のオニツカタイガーと出会い、その品質の高さと丁寧なモノづくりに感銘を受けました。

アメリカでの販売契約を結び、Nikeの前身「ブルーリボンスポーツ(BRS)」は、そこから歩みを始めます。日本市場は単なるビジネスパートナーではなく、品質の象徴であり、ブランドの信頼を高める存在でした。

コストや製造の面でも日本の技術は大きな支えとなり、この協業を通じてNikeは世界で戦えるブランドへと進化していきます。

“エアマックス狩り”が示したブランド熱と文化と共に進化するナイキ

1990年代後半、日本では「エアマックス95」をきっかけにスニーカーブームが爆発しました。限定モデルを求める人々の行列、そして「エアマックス狩り」と呼ばれる社会現象。

そこには、Nikeというブランドに対する異常なまでの熱がありました。人々はただ靴を買っていたのではなく、「手に入れる体験」そのものに価値を感じていたのです。

Nikeは商品を超え、カルチャーそのものになっていった。その熱狂こそ、ブランドが人々の感情と共に進化してきた証拠です。

ストリートと融合し続ける日本市場が育てたナイキの新たな価値

日本のストリートカルチャーは、Nikeに新しい息吹を吹き込んできました。

東京を中心に、アーティストやショップとのコラボが次々と生まれ、スニーカーはスポーツ用品から自己表現の象徴へと変わっていきます。Nikeはファッション、音楽、アートを巻き込みながら、ローカル文化と共に進化してきました。

グローバルブランドでありながら、その国らしさを大切にする、それがNikeの新しい価値です。

まとめ:Nikeから学ぶ、心を動かすブランドのつくり方

Nikeのブランドは、いつも人の心から始まっています。

挑戦する勇気や、挫折の中でも前に進もうとする力、そうした普遍的な感情を物語として描くことで、世界中の人が自分を重ねられる共感を生み出してきました。機能やデザインの話ではなく、「生き方」そのものを提案してきたのが、Nikeというブランドです。

今回、私たちが改めてNikeのブランディングを整理して感じたのは、ブランドの強さは「語り続ける姿勢」にあるということ。Nikeはカルチャーや市場の変化を取り込みながら、常に自分たちのメッセージを更新してきました。

グローバルでありながら、ローカルな感性も大切にする。その柔軟さこそが、時代を越えて愛されるブランドを支えているのだと思います。

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